今日から始まる。

自分のことを「人が好きになれない人間」だと思い、どうすればいいのか悩んでいたとき、アセクシャルを知ってホッとしました。
今はアロマンティックだと自認しています。
自分の気持ちを整理するため、考えたことを文字にしていけたらと思います。

人間は退化している?

こんばんは、リサと申します。


マスクして寝てるのに乾燥で喉が痛くなる今日この頃、皆様に置かれましてはいかがお過ごしでしょうか(ごほごほ)


退化した結果、同性愛

私が大好きな漫画で、天使が主役の話があります。
その話のなかに、天使は種として老いており、同性にしか欲情しないので子孫を残すのが困難というトンデモ設定があります。
女しかいない設定の漫画とか、男しかいない設定の漫画がありますが、似たようなもんなのかなーと勝手に思ってます。


つまり、子孫が残せないっていう点では確かに退化と言えるのかな?ということ。
(これでセクマイ叩く人いるんだよな…とちょっとげんなり)


とはいっても、セクシャルマイノリティでも稀に子供を産む人いますし、体外受精で産む人もいますから、一概にそうとは言えないでしょうけど。


進化の反対は?

進退という熟語がありますので、一般的には対語は退化になるであろう、この言葉。


ある漫画で、進化の反対は無変化だという言葉がありました。
一見「退化」に見えても、変化し続けることは「進化」。
変化の先が良いことならきっと進化と呼ばれるのでしょう。けど、立ち止まっていたらその変化さえない。良い方にも悪い方にも変わらない、それが進化の反対。


これを読んだとき、人間は進化し続けてるんだなーと思いました。
前項の同性愛も、性の多様化ですよね。その結果、子孫を残せない人がいるかもしれないけど、決して退化ではない。


見える化

セクシャルマイノリティの人もきっと昔からいたんだと思います。
ただ、それが許されない社会だったから見えなかったのでしょう。


現在、その存在が明らかになっていること、見える化していること、それも進化の1つだと感じます。


アセクシャルという存在を知って私が救われたことを逆説的に考えると、その存在が知られていなかった頃は苦しむ人がたくさんいたんじゃないかと思います。
もちろん現在進行形でそういう人はいるでしょうけど。


見える化推進委員会の登録ナンバー001をここに宣言しようかな(笑)
ブログを始めた理由は結局これなので。


今日のまとめ。

セクシャルマイノリティの見える化=人間の進化の一つ。
昼下がりのワイドショーで下品に取沙汰される見える化ではなくてね。


見えることは知ることにつながります。




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環境と性指向

こんばんは、リサと申します。


今日の題名は大変アカデミックです。
ただし、参考文献がないので全然アカデミックじゃありません(笑)


私はいつからアセクシャル気味なのか。

自己紹介の中で、中学生の時までドキドキしてた、と言いました。
今そのこと思い出すと、おそらく私はその人のこと好きだったのでしょう。
ただ、付き合うとかそういうことに発展する「好き」ではなかった。
私の「好き」はいつも憧れとニアイコールなのかもしれません。



といいましても、そんなほほえましい感情があったのも中学生いっぱい。
楽しいとは思っても、好きにはなりません。
その感情は思い出せても、妄想の中だけというさびしい状況。


けど私、アセクシャル気味っていうのなら、いつから?
昔感じたあのドキドキは本物でした。恋は勘違いっていうし(知らねーけどな)。


ブログを作る前、気になっていろいろネットで調べました。
そうしたら、二次性徴後に自覚する人もいるとか。
私はそのパターンなのかもしれないと思いました。


しかし自覚というよりは、急に枯れた気がする。


環境が作用したんだ!(という言い訳)

何に対する言い訳か自分でもわかりませんが、私がアセクシャル気味と自覚したのはつい最近です。
しかし、実際には高校生くらいからその状態だったわけだ。


となると、高校生時代の環境が私をアセクシャルたらしめたのか。
そう考えましたが、そもそもアセクシャルに「なる」わけではなく、もとからそういう要素があったものが、環境によって「顕現」するので、上記の言い方は間違っているわけですが、ぐちゃぐちゃして日本語わからなくなってきましたよねすみません。


つまり今アセクシャル気味だということは、私は昔からアセクシャル気味なんです。


機会的同性愛という言葉がありますが、これについては、環境によって同性に目が向くけど、その環境にいるときだけらしいです。ウィキペディア情報ね。

環境の影響で本質的な性指向は変わらないんですって。


関係ないけど、wikiの参考文献に読みたいのありましたが図書館に置いてないしたぶん日本語訳もない。つらぽよー。


今日のまとめ。

このまとめ、今回必要ない気もしましたが、流れは大事。


「つまり今アセクシャル気味だということは、私は昔からアセクシャル気味なんです」


これが今日のまとめですね。環境なんてカンケーネー!


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ちやほやされたい。

こんばんは、リサと申します。


長い自己紹介も終わったので、通常運転です。
これからは毎日更新しようなんて思いませんw


恋愛はできないんです(てへぺろ)

アセクシャル気味ですが、男性嫌いと同義ではありません。私はね。
好きになることもないんですが、まーあれです、一言でいうと潤いです。


身も蓋もないんですが、女の子と会うのと男の子と会うのじゃやっぱり違うんですよね。
ウキウキ感とドキドキ感。
化粧も心なしか気合が入ります。


今まではアセクシャル気味の自覚がなかったので、出会いを求めたりもしました。
ただそれも結局は相手を傷つけるだけだとわかって、もうあまり積極的にそういうことはできないなーという気持ちになっています。
というか、今までもそういう気持ちでいて、アセクシャル自覚し、よりその気持ちが強くなりました。
他の人の人生に私を登場させるのは忍びない、と。


しかしねー、うるおいだからねー、たまに遊びたいんだよねー(白目)
男女が性欲のため割りきって付き合うのをセフレと言いますが、私の場合欲しいのは承認欲求満たすためのボーイフレンドです。
何かこっちの方がや嫌らしいな。エロいって意味じゃなく。



男女が会う意味

そういうわけでビッチみたいな発言になってますが、キスもセックスも(たぶん)できないから、小悪魔くらいでいいかな。


けど、たとえば全部承知で会ってくれる男の人がいたら、その人は私に何を求めるんでしょうか?
その人がアセクシャルやノンセクシャルでない限り、どうやったってワンチャン狙ってしまうのでは?
男性の即物的な性欲に対する偏見でしょうか、これ。


みんなそういうわけじゃないと思いますが、期待ってあると思います。
男女の間に友情が成り立つのかっていう議論と似ています。
つまりは私が求めているのは友情なんですよ。遊んでくれる男友達。


男女の間の友情は成り立つのかもしれませんが、それは決して女同士の友情・男同士の友情と同義ではないと私は思います。
男女特有の緊張感、これが気持ちいいんです。たぶん。


お互いが好みで、けど好きにはならなくて、たまに会いたい。これですな。男女の友情。



今日のまとめ。

私、アセクシャルって言葉を知らなければ、ただの結婚できなくてこじらせた面倒くさい女だったと思います。
外から見たら変わらないんでしょうけど、私の気持ちが平和であればいいんです。


ただ、前述の男友達見つけるのは本当に難しいと思います。
今のところカミングアウトせずにお会いしている方はいますが、それもいつまで続けられるのか。
カミングアウトしてみようにも、たぶんもや~っとしか伝えられないんですよね、アセクシャルのこと。
だって自分でも確信がもてないから。


まあその人とずっと会いたい=付き合うってことになれば大団円なんですけど。
難しいな。


全然まとまってないですが、今日はこれで終わり。


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