環境と性指向
こんばんは、リサと申します。
今日の題名は大変アカデミックです。
ただし、参考文献がないので全然アカデミックじゃありません(笑)
私はいつからアセクシャル気味なのか。
自己紹介の中で、中学生の時までドキドキしてた、と言いました。
今そのこと思い出すと、おそらく私はその人のこと好きだったのでしょう。
ただ、付き合うとかそういうことに発展する「好き」ではなかった。
私の「好き」はいつも憧れとニアイコールなのかもしれません。
といいましても、そんなほほえましい感情があったのも中学生いっぱい。
楽しいとは思っても、好きにはなりません。
その感情は思い出せても、妄想の中だけというさびしい状況。
けど私、アセクシャル気味っていうのなら、いつから?
昔感じたあのドキドキは本物でした。恋は勘違いっていうし(知らねーけどな)。
ブログを作る前、気になっていろいろネットで調べました。
そうしたら、二次性徴後に自覚する人もいるとか。
私はそのパターンなのかもしれないと思いました。
しかし自覚というよりは、急に枯れた気がする。
環境が作用したんだ!(という言い訳)
何に対する言い訳か自分でもわかりませんが、私がアセクシャル気味と自覚したのはつい最近です。
しかし、実際には高校生くらいからその状態だったわけだ。
となると、高校生時代の環境が私をアセクシャルたらしめたのか。
そう考えましたが、そもそもアセクシャルに「なる」わけではなく、もとからそういう要素があったものが、環境によって「顕現」するので、上記の言い方は間違っているわけですが、ぐちゃぐちゃして日本語わからなくなってきましたよねすみません。
つまり今アセクシャル気味だということは、私は昔からアセクシャル気味なんです。
機会的同性愛という言葉がありますが、これについては、環境によって同性に目が向くけど、その環境にいるときだけらしいです。ウィキペディア情報ね。
環境の影響で本質的な性指向は変わらないんですって。関係ないけど、wikiの参考文献に読みたいのありましたが図書館に置いてないしたぶん日本語訳もない。つらぽよー。
今日のまとめ。
このまとめ、今回必要ない気もしましたが、流れは大事。
「つまり今アセクシャル気味だということは、私は昔からアセクシャル気味なんです」
これが今日のまとめですね。環境なんてカンケーネー!