横たわる男と女
こんばんは、リサと申します。
三寒四温とは言いますが、季節の変わり目って本当辛いです。
大人になって、この時期は必ず風邪引くようになりました。
春の生温い風はあんまり好きじゃないけど、新しい季節の匂い自体は嫌いじゃない。
男と女がいれば。
前回の記事で時代による結婚観の違いの話をしました。
それをもうちょっとぐだぐだ考えてたんですが、過去は適齢になったら嫁ぐという文化があったため、お見合いがありましたし、好き嫌いの感情で結婚を考えなかったのかもしれないなと。
もちろん合う合わないはありますから、お見合いを重ねる必要はありますが。
そして、結婚をすれば子供を産むのも当たり前だったと。
それは「好き嫌いの感情」は関係なく。
誤解を恐れずに言えば、体の関係が先だったのかな、とか。
これは悲観しすぎかなあ。
なぜこんなことを考えていたのかといえば、私の「アセクシャル気味」という状態は、時代の中で結婚が半強制的なものだった場合、見えてこなかったなと思ったからです。
そもそもその時代ではセクシャルマイノリティに対しての理解が低いとかそういうことは抜きにしてね。
逃げているのか?
そうすると、つい、私は自分が楽だからアセクシャルだと思いたいだけなのだろうか、と考えてしまいます。
そういう一面はないわけじゃないと思っています。
実際、うまくいかない状態に名前がつくと、ひどく安心しました。
けどそれが、単なる逃避なのではないかという考えに至ると、少し不安が出てきます。
前述したように、おそらく私は「結婚するのが当たり前」「子供を産むのが当たり前」の強い風にさらされたら、もしかして言われるままに結婚して子供を産んでいたのかもしれないという気がします。
アセクシャル気味といっても、子供は産めますからね。
そして産まれた子供は育てるしかありません。
きっと、産まれた子供はかわいいんだろうと思います。
私はただ、キスやセックスに対して嫌悪感があるだけで、情がないわけじゃないんです。
人を好きになれないっていうより、性愛の対象として人を好きになれない。
まあつまりアセクシャルってことなんですけど(笑)
バターになる。
こうやって何度も同じことを考えて、ずっとぐるぐる回っている気がします。
答えがないから、しょうがないんですけど。
忘れていられるときはある意味楽です。
趣味が多い方なので、そちらに没頭しているときは露程も考えません。
けどふとした瞬間、「できないわけじゃない」という事実、一時我慢すればもしかして大丈夫なのか?という気持ちがわきます。
もともと自分の家庭をもつことにあまり興味がないので、克服(?)しようとも思いませんが、たまに心を許せる異性が欲しくなります。
キスやセックスなしにずっと一緒にいるというのは、有体に言えば普通じゃないので、そういう存在を求めるのは難しいですけどね。
今日のまとめ。
言葉で表すには難しいですが、アセクシャル気味であることに対して、自分に対して常に不安はあります。
けど、それが普通のような気もするので、こういう人間もいるって思ってもらえればと思います。